Yuco Maruo interview:INTOPIA

 

Q: 最初はどのようなイメージで作ろうとしていたのですか?

具体的なこういうイメージで、というよりはもっと漠然とした、すごい純度の高い幸福感みたいなものを作りたいというのは漠然とあって、そこから「じゃあ目に見える形にするんだったらどういうのかな」っていうのを探り続けているみたいな感じですね。
幸せ感というもの、心の中の拠り所みたいな、心の中に描いているすごい心地いい空間みたいな。その感じ、そのものを表現したいと思って。それは言葉にしにくいんですけど、どうにか形にしてみているみたいな。

たとえば、すごく嬉しいことがあったから幸せとか、ハッピーだったことをいっぱい集めた幸せとかじゃなくて。何かに出くわして、自分が自分本来の、本当にいいなあって思う感覚になった瞬間に、自分の内側から湧き出る、幸福感みたいのがあって。それはとても静かなんだけど、すごい安心できて、だけどそわそわ喜んで騒がしい感じだったりします。

私は自然や植物を見たり感じて、元気になったりするんですけど、そういうのも、「ナチュラルな自分の中にある何かに近づける入り口」に出くわしている瞬間のようで、幸せのようなものを感じるのだと思います。
実はそれは人に出会っても、物でも、なんにでも出会っても感じるものなんだけど、そういう純度の高い、すごく気持ちいいなっていう感覚…それを何かしらで表現してみたいなって。

有機的なんだけど、騒がしいわけではなくて、だからと言って、何かの動物とか、はっきりとこういう生き物というわけではないんですが、 でもそれに出くわした時に「あ、なんなんだろう。自分のこの内側から出てくる、なんか、ピュアな、、、なんだろう」っていう感覚に近いものになったらいいなと。実際に作品が形になってくるとき、自分でもそれが何だか得体がしれないんですけど、 そのすごく自分が感じているピュアな心の奥の、何かに触れる、何かになったらいいなっていう感じで作っています。

Q: 最近それを感じたのは、どんな時だったのですか?

人と関わっている時に嬉しい気持ちとかの時に、自分の中から、自分がすごい感動しているなあって思って、それを自分で、「自分は、あ、こういう風に感じているんだ」ってびっくりする、みたいなこととかもあるし。
先日、自分の中に出てきたイメージみたいなものにホッとする感覚を覚えたんですが、それを実際に感じたくて、夜明けの海とかだったらそれに近いものを感じられるんじゃないかと思って行ってみたんです。その時「あ、自由だな」って。あのホッとした感覚に近いというか。現実に見えているのはただの海なんですけど。

 

 Q: それに気づく前と気づいた後と、自分の中で変わったことはありますか?

なんていうか、探し続けているというか。そこに戻り続けているみたいな感じというか。 なので、毎日毎日自分が選んでいることとか、していることとか、そういうことも全部そんな感じがするんですけど。

Q: 基準のようなものになりますか?

そうだと思います。本当はみんな「自分が求めているユートピア」のような自分だけの感覚があって、それに近づけるかどうかとか、そういう自分でいられるかどうかみたいなのが、欲しくて欲しくて。その機会として、いろんなものに出会ったり、いろんなことを感じて、よりそれがキラキラするようになっている。私はそういう感じがして。だから何かをして嬉しいとか、感謝の気持ちは、人のために嬉しがっているわけじゃなくて、本当は自分の内側に出会っているみたいな。そのためにそういう機会をいろんなところで自分が作っている感じがしています。それのために、その機会が増えるようにしたいとも思います。そしてそれを作品として形にして、自分がそうだなって感じられるのはどんなかなって。多分作っている中ではやりつづけているんですけど、いい感じになるといいんだけどなって思ってやっています。

 

Q: 作品が変わっていってるのって、そういうものを探していっているのに近い?

そうかもしれないですね。経験や言葉でわかるようなことじゃなくて、もっと、「は!」っていう気持ちになれるものみたいなのになったらいいなって思ってはいます。

 

Q: 素材について

主に石粉粘土っていう素材で作っています。何度も壊したり、つけてみたりっていうのを繰り返しているので、それができる素材なので、作っている時の自分の感覚にすごくフィットしています。

 

Q: 結構何度も壊しているんですか?

ある程度作ってみては、これではそうならないと思いガンガンガンって…やりたくないんですけど本当はそれ。渋るんですけど結構、やりたくないから、やらなくてもいいようにならないかなあと思って、一晩置かせてみたりするんですけど。もっと効率がいいといいんですけど。

Q: 作品を見る人にメッセージはありますか

「この子はこういう子みたいだなあ」とか、そういう生き物として感じてもらうのも全然いい、自由に色々感じてくれたらいいなって思えますし、得体の知れないっていうのを、そのまま自由に感じてもらって、心の拠り所みたいなのを感じられる何かになったらいいなとも思います。出会った人が、その人のその人らしい何かっていうのに近づける、きっかけみたいなのになったらいいなと思っています。

 

Q: 制作工程について聞かせてください

最初はこういう感覚っていうのを一応スケッチして、骨組みを組んで、粘土をつけてってやっていくんです。
動作的な動きっていうことじゃなくて、その存在感みたいなのが出せるようなラインにしようとか、肉付きにしようとかっていうのを考えながら作っていて、それの表現の中で、内側からこう、湧き出しているような感じっていうのを意識して作ったりとかしています。そういうものにより近づける何かを探して探して、壊したり伸ばしたりしてっていう風にやっているんですが、ちゃんと人に見せられる姿になる手前までは粘土の塊。。。。

Q:今回作品が少し大きくなっている気がしますが。

あまり自分では大きくなっているって意識していなかったんです。 作り始めた時はもっと小さかったので、気がついたら大きめになっていて、作品としては抱えるような、大きめの作品になりました。
作っているときは大きいと思って作っていないですけど、ただ、サイズが大きい分、いい感じっていうのに仕上がるのにすごい時間がかかって、すごくそれはストレス…いつまでたってもどれも出来上がらないみたいな(笑)
小さいと割とすぐ、自分のいい感じっていう感覚になりやすいので、自分でもまたそれを見て元気になったりして、お、いいね!っていうのがあるんです。ちょっと今回はそれだけじゃない、もうちょっと、そういうものだけを作りたいんじゃなくて。その感覚とか存在感を表現するのには、多分それなりの大きさが必要で、と言っても手で作れるサイズですけど。自分で大きくしたっていう感覚はないけど、なっちゃったので、出来上がらなくてすごくイライラするっていう感じで(笑)もっと早く出来上がるはずだったのに!って、辛いっていう(笑)
ボリューム感は、なるべくしてなった、良いサイズだとは思うんですけど。
前回作った一番大きな作品は、その時のサイズ感では、ああ、結構大きいサイズのものを作ったなあっていう感じがしたんですけども、自分の感覚で、これはこのサイズ、これはこのサイズって決めて作るというのがなくて。その作品を作っている時の自分と作品の1対1と、その同時に作っているシリーズの作品たちっていう風にやっているので、あんまりサイズ感は感じていなかったけど大きくなったっていう。

作品が、ただ可愛らしいっていう表現のものじゃないので、気持ち的にも結構難しくて、やりたいんですけど、よしやるぞっていう気持ちになって向かい合わないと、ちゃんとできないみたいなところもありましたが、今、一番最善を尽くしたらこうだからしょうがないなと思って。

Q: 今回制作中の作品についてどう感じていますか?

ちゃんと良い得体の知れなさになりそうな感じがしていて、楽しみです。
前作「PULSE」では、鼓動がある感じとかを思ったりしていたんですけど、今回は、命がないって言ったら変ですけど、静止していてすごく静かなものなんですけど、それでも、それがそこに存在していい状態になるものを作りたくて。だから生き物的なものっていう、見た目にはそうなんですけど、生きてて命があるかどうかっていうのはあまり関係なくて。
先日、道場六三郎さんが、「生きてるとか死んでるとかどうでもいい」みたいなことをお話されていたということが書いてあった本を読んで、すごくそうだなって思ったんです。今生きてるからとか、生きている命だからどうこうとかいうものじゃなくて、例えば過去の人でも自分に対して影響がある人だったら、それは生きているのと同じ、という感じがしました。
石を見て私が感動するのは、石が生きていて鼓動を打って生きているからかって言ったらそうじゃないけど、私にとっては命があるものと同じように、自分にとっての命に影響があるものだって感じることがある。なので、今回の作品も生きている自分の命に影響を与えるものみたいなものに、そして、動いている感じとか生きている感じがするけど、すごく静かで、静かだから向き合えるものになると良いなって思います。それは、 動物でも植物でも、もっと心の拠り所みたいなそのものみたいな何か、言葉にしきれないそれを手で作り出そうとするとこうなる、みたいな感じかもしれません。

 

2018/04/12 tokyo